カヌーワールド「レジェンドたちの伝言」は、西伊豆コースタルカヤックスの村田泰裕さん

ポール・カフィン ミーティングで、西伊豆で一緒に漕いだ。

日本の、というか世界もひっくるめて、シーカヤックは当初「冒険の道具」という側面が強かった。日本に紹介されたのもニュージーランドの冒険家、ポール・カフィン氏が、シーカヤックで日本一周に挑戦するという、野田知佑さんの記事からだったと思う(いつか”Kayak Dandy” ポール・カフィン氏が来日することがあれば、またインタビューしてみたいな。今は何をやっているんだろう・・・)。
そんな流れを継いでいた1990年代から2000年代の初頭。当時、日本のシーカヤックの最大級のインポーターでありソフトハウスだった、エコマリン東京のインストラクターたちはそうしたシーカヤックを使った冒険を競うようにやっていた。
現在、西伊豆コースタルカヤックスの代表の村田泰裕さんもその一人(遠征時は辞めていたけどね)、彼のプロフィールは過去2回のカヌーワールドの記事を読んでいただければと思いますが、今回はクインシャーロット諸島(ハイダグアイ)一周のエクスペディションのお話し。

海からの民を迎えるように立つトーテムポールたち

自分でも意外だったんだけど、この話しってイベントとかでは話していたけど、メディアに書いたことは無かったそうで。つまりこれだけしっかりと紹介されたのは、「カヌーワールド」が初ということかな。それにしても、ダン・ルイスをして「漕ぎたくはない」ハイダグアイの島々の西側というのはどんな感じだったのだろうか。これは映像で残っていないし、彼も写真を撮るどころではなかったから、あくまで想像するしかないが。

本誌でも最後にちょっと書いたけど、こうやって自分の実力を超えるかも知れない場所を漕ぐことによって、シーカヤッキングのメソッドが高められるってことが確かにあった。話しを聞くこと自体も面白かったしね。

内容についてはカヌーワールド本誌を読んでいただくとして、彼が最初の挑戦で敗退した年は、僕も含めて西伊豆コースタルカヤックスのツアーとして、ハイダグアイに行ったのです。その時の様子を当時の「カヌーライフ」という専門誌に寄稿して(2002年36号)います(そのうちカヌーライフ時代の寄稿もまとめますね)。もう20年近くも前になるけど、とても貴重で、エキサイティングな旅でした(もちろんこちらはガイド付きツアーなので、いわゆる「いいとこ取り」ですけどね)。

ただ、ツアーは現地では「ゲイル」と呼ばれる台風が連続して、到着から数日はサンドスピットに釘付け。ほんとこのタイミングで出られなければそのまま帰国するしかない、という状況でギリギリ、南に向かえたのでした。

トーテムポールも星野道夫氏が撮影した時の状況、ほぼそのままで残っていました。わずかな滞在時間に一体何本のフィルムを使ったことか…。当時、トーテムポールが大地に還るのは「あと10年」と言われていましたが、今もなんとか残っているみたいですね(当時の全てでは無いようですが)。

これ、ちょうど911があった年なんだよね。カナダから帰ったら「(アメリカが)大変なことになってる!」とテレビに釘付けになったことを覚えています。翌日から空港は閉鎖され、僕の後に帰国する人は一週間以上バンクーバーに足止めになったとのこと。本当に色々とギリギリな旅でした。

帰国後、当時の「カヌーライフ」にこの記事を寄稿(持ち込みね)、巻頭カラーとなりました。そして「カナダメディア賞」というのを受賞して、この後のカナダ各地の取材ではカナダ観光局さんには色々とお世話になるのです。このツアーも彼が遠征のために獲得した人脈で実施されているので、彼の遠征が僕の取材行動を広げてくれたと言っても過言でもないわけで、感謝しています^^(実は今はなきOutdoor誌で、NCK開業の記事も書いてるんだよね)。

数年前にポジのデジタル化をしたので、数枚載せてみました。少しでも彼の見た風景の参考になれば幸いです。

そういえば、「ソロ+α」で登場いただいたサーフェイスカヤックスキルサービスの武田マーシーも、西伊豆コースタルカヤックスで、そのガイドのキャリアをスタート。彼は「あそこ(NCK)にいると、次お前はどこに(もちろんエクスペディションレベル)行くんだっていう雰囲気がありましたね」と言っていたっけか。