「東京まで送る手配をしましょうか?」
「いえ、生まれ変わったT3をこの目で確かめたいのです。家族にはあきれられるでしょうが、僕にも意地というものがあるので」(笑)
ローダーで送り届けることを提案してくれたファントムガレージさんに、今回も大阪まで取りに行くことを伝え、東京発の夜行急行「銀河」に乗りこんだ。時間はもちろんのこと、費用でさえ業者に頼んだ方が安い可能性があるのだが、僕は「主治医」から今回の修理に関する見解やこれからの見通しを直接伺いたい。それに大阪から東京まで走ればいい慣らしになるだろう。
金曜日、深夜の東京駅ホームは帰宅を急ぐサラリーマンであふれていた。僕もいつもならその中のひとりのはずだが、今日は心情的にはまったく違う気分であった。
先日ブルートレイン(寝台夜行特急)の元祖である、「あさかぜ」「さくら」が廃止されたと報道されたのでこちらもガラガラかなあと思いきや、希望した下段は満席、上段もそこそこ予約が入っていた。みどりの窓口の係員は「週末はけっこう込みます」とそっけなく言う。最終の新幹線より遅く出発し、始発の新幹線よりも早く着くというコンセプトがうけているのかもしれない。
確かに夜行バスよりも高いが、寝台で寝られるというのは魅力だ。車両だってまがいなりにも20年前の特急で使ったものである。ただ僕の体格には、やはり厳しいものがあった。
せっかくなので夜行列車の旅を楽しもうとおもったのだが、日々の業務の疲れもあり(結局3月中はほとんど午前サマになってしまった。これに原稿もあるのだがらたまらない)、早々に眠ってしまった。
相変わらず長大な前置きになってしまったが、京橋で朝食をとったあと、ちょっと早いかとも思ったが、営業時間よりちょっと早くJR河内磐船駅についた。ここで岡田氏に迎えに来ていただく。
「ロータリーのある方で待っていてください。5分くらいで着きますから」
と言われて指定された場所にいったが、なっかなか来ない。うーむ、途中なんかあったかなあと思っていたら、向こうから見覚えのある重厚なグレーの、極限までのスペースユーティリティを考慮した、四角につぐ四角で構成された箱型自動車が見えた。
「も、もしやあれは!?おおおおっ、我がT3ではないか!!(名前でも付けておけばよかった)」
やっぱショップでご対面だよなー、とばかり思っていたので心の準備ができておらず、嬉しさを表現するタイミングがずれてしまったのだ(笑)。
「いやいや遅くなりました」と岡田氏。
とにかく僕は2ヶ月ぶりのご対面となるT3をぐるりと一周した。ボディはきれいに治されて美しくも渋いグレーメタリックが鈍く光っている(アンダーグリルは交換したので、色調が違っちゃっているけど)。エンジンの音は心なしか小さくなり、音質的には低音がしっかりして高音域になんとなく聞こえていた機械的な音がなくなったように感じる。
そして乗り込む。まずは助手席のシートに座った。
「それでは行きますか」とアクセルを踏み込む。「!」おお、しっかりと「加速」するではないか。以前は「増速」とでもいったらいいだろうか。もともと僕の運転自体がそうではあるのだが、いわゆる「G」らしきものを感じることはなかった。助手席にいてもそれは十分感じられたのだ。
顔の筋肉が緩んでいるのがわかる。そしてブレーキをかけたときにおきる、不快なギシギシ音もなくなっていた。
「これはもう別な車だ」と最初は思ったのだが、「これが本来のT3なのだ」とすぐに思い直した。
2ヶ月、終わってみれば長かったような短かったような・・・。ホイールを止めるボルトとナットのサビが、その時間の経過を示していた。
しかしファントムガレージの有史以来最悪の程度であった我がT3が復活するためには、必要不可欠な時間と、あまりに幸運なタイミングであったのだ。
さて、次回からはその復活記を記していくことにしよう。