瀟洒な家とヴァナゴン君。なかなか似合います

カヌー旅はリトルサーモンリバービレッジという小さなネイティブの(元)村で終えた。

そこから一端カーマックスというこれまた小さな町に出て、そこからからアラスカハイウェイを走ってホワイトホースの街まで戻ってくる。街の手前で見かけたジャンクヤードに静かに眠るT-2Westyを見かけた。

カーマックスからホワイトホースまでほぼ100kmで走りつづけても約2時間の道のりで、途中ドライブインとモーテルを数軒見かけただけで、あとは森と湖、そして「元」森が続くだけであった(落雷による森林火災が頻発しているのだ)。こんなところでT-3が今も現役で走りつづけていることなんて僕の感覚では考えられない。やはりT-3にしても、あのT-2のようにジャンクヤードで静かに眠っているんだろうと思われた。

もちろん走っていなければ「やはりこのような厳しい環境では絶滅してしまったのだろう」の一行で済んでしまうわけだから、こうして書くっちうことはそれなりのことがあったわけだ。

フルサイズのアメリカンバンのセンターシートに座って半分うつらうつらしながらも、目は対向車線を走っている車を捕らえていた。

ホワイトホースの街に戻ってきた矢先、半分眠りかけた頭が見慣れた箱車を捉えた。T-3ヴァナゴンだ!しかも一見しただけでかなりリキの入ったシロモノとわかるシンクロだ。

対向車線だしカメラもバックの中。残念ながら撮影はできなかった。

「う~、惜しい!」

そしてあるスーパーの前を通ると、今度は別のT-3Westyが!よく見るとアンダーグリルがない。空冷だ。しかしまさか「ヴァナゴンを撮りたいからあのスーパーに寄って」と言うのもなんだったので、そのまま通り過ぎた。

その他で立ち寄ったホワイトホースのスーパーの駐車場に止まっていたT-2レイトバスベースのウェストファリア。オーナーは若い(多分)夫婦。とってもキレイに乗っています。

翌日、ホワイトホースの街をぶらつく時間を作っていた。もちろんその目的は街の風景、特にカヌーツーリングに役立つ情報収集のためなんだけど、どうもバナゴン探しになりそう(笑)。

昨日のシンクロどっかにとまっていないかなあ

なんとなく期待していた。

昨日すれ違ったシンクロを見つけた!

今週末、3週間ぶりに愛機、フォルクスワーゲンT-3ヴァナゴンのエンジンに火を入れた。イッパツでエンジンはかかったのだが、…カチャカチャとかなり派手なタペット音が響いてきた。うーん、やはりオイルが落ちてしまったのか。

しかし、30分も走ったらその音もほとんど消えたので、まあ大丈夫だろう。

さて、ホワイトホースでの最終日、街の風景を撮影しておこうとホテルを出た。街のはずれにあるホテルからメインストリートまで歩いても10分。しかも浜省の歌のようにこの街のメインストリートは、数百メートォしかないのである。錆びれたというよりも歴史を感じる映画館は別のストリートにあり、バーどころか日本料理屋まであった。

必要なものや印象的なものを撮影しつつ、目はバナゴンを探していた。

そして見つけてしまった。昨日すれ違ったシンクロに。
これがそのシンクロ。かなりのぶっといタイヤとリフトアップ。頑丈なキャリアはボートを積むためだろうか。

リアに周ってみると、ごっついスペアタイヤをしょっていました。このパーツはどこかのショップで扱っていましたね。このパーツをつけたT-3は、僕はまだ日本では見ていません。マフラーのとりまわしもちょっと違うような気がしますが??

街の外はほとんど荒野のようなもの。やはりシンクロの走破性が必要なのだろうな。またスペアタイヤをリアにしょっているのも、この後数台見かけました。最初冷却性を上げるためかと思ったのですが、日本と違って基本的に涼しいし、ほとんど渋滞なんてない場所、メンテナンスの問題でしょう、と話してくれた方がいました。

そしてこれでブレイクしたのか、次々とT-3ヴァナゴンが視界に入ってくるのです(笑)。
復元された鉄道駅の横の駐車場には、ベージュのウェストファリアを発見。オリジナルカラーかな?
ヴォルフスブルクエディションのバッチが輝いています。

そして通りに戻ると、僕のすぐ横をカナディアンカヌーを載せたバナゴンが追い抜いて先の角を曲がっていった。マジ?
そしてそのブロックの小道を通りぬけてみると、先ほどのバナゴンが銀行(だったかな)の前に止まっていました。

オーソドックスな白いWesty。赤いカヌーがいいアクセントになっています。フロントに虫除けのマスク、いわゆるブラを付けています。この地域の夏は虫(Bug)の数はハンパじゃございません。サイドのホックアップは2個ですね。お、下の方に1個ついているのかな。

シートベルトをドアにはさんでしまうのは、僕もよくやります(笑)。

う、しかし今気づいたけど、なかなかワイルドなカヌーの載せ方をしていますね。

聞き覚えがある音に振り向けばストリートを走っていくT-3バナゴン。こちらはフロントのカーゴスペースにスペアタイヤを載せていますね。

T3ヴァナゴンが描かれている絵本、「MotorPanic」の作者であるイラストレーターの、まつやまたかしさんから(2005年3月29日の日記)、「所ジョージさんの世田谷ベース」という本の見開きイラストを担当されたとの連絡をいただきました。またホームページのURLが変わったそうです。

ガレージ、いいよなあ。夢ですよね、オトコの夢。ガレージどころか他に車を買うことだって夢。ヴァナゴンの他に欲しい車は無いとは言えないけれど、我がヴァナゴンはオールマイティ。それこそホワイトホースの働くヴァナゴンなのだ。

さて、あっという間にホワイトホースヴァナゴン事情も3回目。メインストリートに戻ってみると、またまたT-3ヴァナゴンがとまっていました。

今度はシャンパンゴールドとでも言う色かな。フロントにかけられたブラには、ヘッドライトガードもつけられているようでした。

ナンバーを見ると、どうも地元のナンバーが多い。そこでちょっと足を住宅地に伸ばしてみました。といってもメインストリートから10分も歩けば住宅地です。

そしてその通りの奥に目をやると、そこにも丸目のT-3ヴァナゴンが!いったいどうなっているんだ、この街は。
これもブラをつけていました。丸目用もあるんですね。

サイドには花、花、花のステッカー。「Cars」のフィルモア君か。先日Voxx誌で取材させていただいたMさんの車に通じるものがありますね。

サイドビューも先ほどのWestyと違います。下のほうの四角い穴は冷蔵庫冷却用?

そしてそこからまたちょっと歩いて見つけたのが、2006年9月8日の日記のトップの写真のような光景なわけです。

さらにまた別の路地を覗くと、水色の見慣れたリアが見えました。クォーターウィンドウをパネル化しています。

ん?あれはもしかしてトランスポーターか?

というわけで寄ってみれば・・・。

キャンピングカーでのトラベルがメジャーな国だけあります。

そして、青いトランスポーターの奥に見つけたのは、シルバーのT-3Westfaria。うーん、1軒はさんでバナゴン同士。
フォルクスワーゲン社の車について、この街ではT-3ヴァナゴンを普通の乗用車であるゴルフやポロよりも全然多く見かけたし、この大きさのいわゆるバンコンタイプでは、地元アメリカのバンベースのものよりも多いくらいだった。そしてなぜかこれよりも新しいT-4は一台も見かけることはなかった。
しかしさすがにT-2はいますね。これも使い倒しているっていう感じ。やはりスペアタイヤは取り出しやすいところに置くのが定番?

いわゆるレイトバスですね。

もっとも、どれもこれも使い倒されているような状態で見ると、単に新しい車が買えない状況ということも考えられるけれど、ただ日本のT-3が特別故障しやすいわけでもあるまいし(僕の愛機は特別だろうけど)、お金がかかる時期に入るのは、こちらも同じ状況だと思うのです。カリフォルニアなどの気候がいいところであれば、未だわからなくもないのですが。

日本だとレアで不遇な車ゆえに、良くも悪くもオーナーの優越感だとか連帯感なんかがあるのだろうけれど、この街のように当たり前に走っていれば、この状況も違っていたかもしれません。

しかもユーロナンバーに「F」のマーク?運転しているのはフランス人かな。

これだけ走っていると車屋さんにT-3のパーツが売っていても良さそうですが、残念ながらそこまでの時間はありませんでした(泣)。

午前中で精神的に腹いっぱい状態になってから(実際の腹の方は、ものは試しと日本料理屋に入ってみたのですが・・・?)、カヌーピープルに寄り、代表のスコットさんにインタビュー。この人がカヌー屋さんをやっているのは天職なのだと感じました。

今回旅のコーディネーターをしてくれたKATSU氏の運転する車に乗って、街のはずれに撮影に行きます。その間もベージュのダブルキャブを発見。ピックアップと言えばアメリカ製の独壇場となっているこの街でダブルキャブが現役で生きているということに感動。

そして信号でまたまたヴァナゴンが止まっているではないか?

運転しているのは結構お年を召した方でした。しかもおばあちゃんの方が運転のようです。この車で大西洋を渡ってきて、さらにカナダを巡っているのでしょうか?!

ルーフを見ると、普通のWestyではないようですね。センターだけが持ち上がるタイプは初めて見ました。しかもオーバーフェンダーが付いているようです。

この他にも写真に撮れなかったものも数台あるわけで、確かにキャンプシーズンにかかっているとはいえ、半日でこれだけの台数を、人口22,000人ほどの街で見たというのは、全く意外だったのです。