ビルシュタインのリア用ショックアブソーバー。イエローとブルーがまぶしい

リア・ショックを交換しました。え?リアだけ?ハイ、フロントは既に交換していたのでした(2004年4月25日の日記)。

なんでリアだけ残っていたかというと、前のオーナーに会ったとき、リアはもう交換済みだからしばらく交換しなくても大丈夫だよ、と言われたからでした。まあそのうち換えればいいかなあ、と思っていたのですが、まあとにかくこのブログを読んでいただければわかるとおり、他の場所の修理がた~くさん出てきましたから、パーツそのものが高めなショックにはなかなかお金がまわせず、結局今になってしまったというものなのです。

巷では「KONI」が流行りだそうですが、僕はフロントに合わせて「ビルシュタイン」にしました。リアゲートにバッチも貼っちゃっているしね(2004年6月15日の日記)。

リアショックの交換はさほど手が掛からないとは聞いていたのですが、流石に1人でやるのは怖いなあ、と思っていたら、「T4まいすた~」という貸しピットのスタッフから路上で出会い(2006年9月29日の日記)、Oさんも手伝っていただけるとのことで、部品を積んで行ってみることにしました。

東京周辺部は南北に移動するとえらく時間がかかります。ここも港北IC近くにIKEAができたとのことで、Oさんから時間に余裕を持って来た方がいいとアドバイスをもらっていました。

くねくねと都道やら県道やらを南下すること約1時間半、なんとか無事に辿り付くことができました。

借りたのは午前コマの10:00~14:00。泣き出しそうな空のもと、車をピットに入れます。

この貸しピットは会員制。注意しなければならないのは、修理する車の本人だけではなく、手伝いの人も会員にならなければならないということ。Oさんは「どうせ自分も作業をするから」ということで会員になってくれました。

様々な決まりごとのレクチャーを受けて、手続きを済ませるといろいろと工具を出してくれた。基本料金で使えるベーシックな工具のほかにも、オプションでいろいろな工具があるという。まあ僕には今の段階ではとても使いこなせないけど(苦笑)、安心して作業が出来るというスペースそのものがあるのが嬉しいのです。そしてワイワイ話しながら作業出来る人がいるのはもっと楽しいのです。

エア・ジャッキで車体本体を持ち上げ、馬をかませたあとに、小さなジャッキでアームの位置を調整する。

ここのところ毎週末はスタジオに入ってトロンボーンを吹いている。全体練習は東村山からだと東京をほぼ横断してしまう江東区にある公共の施設で行うことが多く、楽器も大きいのでT-3で行こうと思っていたのだが、施設を調べてみると周囲は一通が多くてわかりにくいうえに、どうも停めるところもなさそうなので、もっぱら電車で行っている。

Vanagonなら車の中で練習もできそうだな。そういえば、サックス奏者のMALTA氏が、楽器の練習をするために、アメリカンサイズのバンを買ったような話をむかーしどこかで聞いたような感じがするけど記憶違いだろうか…。

さて、ジャッキをかけるところはどこでもいいというわけではないのは、頑丈に見えるこの車も同じ。オーナーズマニュアルでしっかり確認してからジャッキアップ。このお店にもT-3に非常に詳しい方がいらっしゃるというのだが、この日は残念ながら来られないということで、ちょっと残念。 

まずは右後ろから交換することにする。対角線の左の前輪に輪止をかけ、軽くナットを緩めてからエアジャッキでボディを持ち上げる。ガガガガガ、という音がしていとも簡単に車体が持ちあがった。うーむ、すごい。いつもの手回し式ジャッキとはえらい違い。

ウマはエンジンとマフラーの間にあるエンジンマウントブラケットにかませる。ジャッキだけでは危険ということだ。

タイヤが浮いたところを確認してナットを緩めて外し、タイヤを取り外す。

ショックアブソーバーがあらわになる。ビルシュタインなのに黒い。どうも前のオーナーが塗装したようなのだ。理由は不明。

ショックを外した状態。スカスカになりますね。

ショックを外すとスプリングの力でアームが開いちゃいますよ、ということで(経験者がいると助かります)、アームの下にもうひとつ小さい油圧ジャッキをし掛ける。うーむ、これでは自分のところの駐車場でやるのはさすがに厳しいなあ。

そしていよいよ古いショックの取り外し。

ボルトが回らないことは覚悟して、CRC556をたっぷりと吹き付ける。

角をなめないようにレンチをしっかりとかまして、グッと力をかけると、クルッと回った。

「あ、あれ?」

長年乗っていると、固着していて取れないボルトも多いのは過去の経験からもわかるとおり。たぶん、一度外しているからだろうということになった。まあしかし、それなりに力を入れてはいるので、緩んでいたわけではないようだ。

上はボルトのみ、下はボルト+ナットで固定されている。双方さほど苦闘することもなく外れてくれた。

そして新しいショックアブソーバーを箱からだしてセット、ボルトを締めようとしたそのとき、Oさんが「ちょっと待った!」の声がかかった。

じゃじゃん、と目にもまぶしい新ショックアブソーバーなのです。そうそう、リアドラムを交換するときには、しっかりとブラックか何かの塗装をしておくことをお勧めします。

ボルトをそのまま使ってはいけないと言われた。

本当は新しいボルトやナットを使った方がいいのだろうが、残念ながら入手できなかったし、山もつぶれた様子は無いのでそのまま使う。ただ「スレッドコンパウンド」というケミカルを塗り込んだ方がいいということだ。

Oさんが、このケミカルはけっこう高いヨ、というので、ブラシで鉄粉やゴミを丁寧に落としてキレイにしてから、スマヌスマヌと言いながら指で伸ばして丁寧に塗りこんだ。

このように大小ジャッキを使ったわけです。

そして真新しいイエロー&スカイブルーのショックをはめこんで、まず上のボルトを仮止めしておいてから、下の穴にボルトを通してナットを絞め、上下交互に絞めこんでショックを固定した。

うむ、いい感じ。下のアームに置いてあるジャッキをどけ、次ぎにタイヤをはめてナットを締め、一端ジャッキにエアを送ってちょっと持ち上げてからウマを外し、ジャッキからエアを抜いて車を地に戻す。

満足する間もなく、今度は左後輪の作業に入る。なにせこのピットは時間制なのでテキパキとモノゴトを進めなくてはならない。

まあ一回やってしまえば、あとは同じ要領。

対角線の前輪に輪止をかけ後輪のナットを若干緩めた後に、エアジャッキで車体を持ち上げ、ウマをかましてタイヤを外して、アームの下にアーム固定用の小さいジャッキをかませてショックのボルトを緩め、古いショックを外した後に新しいショックを入れ、ボルトとナットもキレイにして絞め込み、小さいジャッキを外した後にタイヤをはめてナットをしめ、ウマを外してジャッキを降ろして、タイヤのナットを絞めこんで終了。あ、こんなんもので済むのね(苦笑)。

インパクトレンチも使わないかと勧められたけど、前にイタイ目にあっているので(2006年5月8日の日記)手で絞めているのです。僕の場合。


というわけで、本日のメインイベント1、ショック交換は終了。


◆ショック交換その後・・・

この白いヴァナゴンは友人のシンクロだ。なんか深刻なトラブルが起きたとか・・・。

車の平均保有年数が長期化の一途をたどり、今や11年を越えたとか。平均寿命が11年を越えたのははじめてだそうだ。昔、新車登録から10年を越えた車は1年車検になっていたくらいだから、車そのものの寿命、信頼性が伸びたこともあるんだろうけど、それ以上に「乗り換える必要がない」「乗り換える余裕が無い」という人が増えたんだろうなあ。そして乗り換える魅力的な車も無くなった。これについては、どこかの評論家が、「マーケティングということをすることによって、皆『売れる』ことを第一に考え出した。だから皆平均的な車になってしまって面白さがなくなってしまったんだ」というようなことを言っていたと思う。

僕はもうひとつ、家族構成も昔ほど変わらなくなってしまったのも原因のひとつではないかと思うのだ。

さて、リアショックを交換しての初乗り。書こうとしてまた間が空いてしまった。週末取材に行く予定だったのだが、ここのところ週末になると天気が悪くて、2週間連続でキャンセルになってしまった。いろいろと書きたいことも書き散らしたこともあったのでガシガシとアップしていったら、時系列がバラバラになってしまった。ご容赦のほどを。

とうわけで、この日の日記の続きです。

エンジンをかけると、T4まいすた~のI氏が「いい音していますね」と褒めてくれた。少々しめりながらもくぐもった音はT-3以外の何物でもない。

ショップを出ると路地ということもあって適当にデコボコがあるので、ショックの調子を見るにはいいかな。でもスピードが出せないのであまり違いは見えてこないかもしれない。

感じとしては、フロントショックを交換したときほどの違いを感じられなかった。まあ若干脚が硬くなったかなあという程度。その後もやはり劇的というほどではないが、多少脚に粘りが出てきたようにあ思う。

ショップに戻り、オイル量を点検して異常がないことを確かめて帰路についた帰りは行きのほぼ倍の時間がかかった。どうも東京辺縁地域を南北に移動するのは辛いものである。