ファントムガレージでは自らがT3を所有している。1985年式の「JOKER」である。しかしポップアップルーフのものは日本ではレアということである。
このJOKER、なんとはるばる岩手県は宮古市から(無理やり?)自走させて来たものである。

このT3は、第1回三陸シーカヤックマラソンin宮古(現在はNPOいわてマリンフィールドが主催)の取材に行った折に出会っていた。この時にいろいろと世話をしてくれた人が所有していたもので、そのまた友人が譲り受けたものであった。その時拝見したときには、オールペン直後で、車内もかなりリフレッシュされ、実に美しいT3であった。あきたら譲ってくれないかと申し出たが「当面譲るつもりはない」とムゲにも断られたことを覚えている。しかしその知人は「どうせしばらくすれば飽きるから」と言っていた(笑)。

東京に戻ってからほどなく今の車に出会って購入したが、その人はやはり飽きていた、というよりももてあましていたようだ(笑)。

1000kmオーバーを自走して持って来た岡田メカによると、ほとんど廃車状態でほっぽってあったそうで、運転できるようしてから大阪に辿り着くまでを、語るだけでも1週間くらい必要だそうだ(笑)。
その苦労はファントムガレージのHPにアップされている。

このJOKERはヨーロッパ仕様。年式こそ旧いものの、北米向けT3と違って手をかけているところ(逆に言えば北米向けでは省略されてしまった機構・装備)がけっこうあるようで、実際内装を見ても、より丁寧に作られているところが随所に見うけられた。例えばテーブルのモール、ガスの立ち消え防止機能、ダッシュボードの上に取り付けられたトレイ、キッチンとテーブルの双方の上につけられた室内灯、排水タンクなど。

この年代、つまり80年代後半は、世の中がなんでもかんでもコスト優先主義に移り変わっていく時期にあたる。特に北米向けのものは、居並ぶキャンピングカーの中でのコスト競争にさらされていたのかも知れない。
Uさんによると、ウェストファリア社のラインナップで北米向けのものは名前が無く、ヨーロッパ向けのものには「Joker」と名前がついていたようだということだ。名前までカットしなければならないほどの競争だったのか?!

そしてファントム号の話ですが・・・岡田メカは、実際は忙しくて自分の車をいじる時間など無く、「(そのうち)土に還りそうです」と嘆いていました(苦笑)。いずれにせよ同じ車を所有し、同じように整備に悩んでくれるのは、心強いことだと思うのです。