この1週間、東京から京都を経由して日本海側に出て、鳥取、島根、山口と走り、広島を抜けて中国地方を一周するというヴァナゴン旅も、無事終了して東京に戻ってた。
途中、ちょっとアヤシイ挙動を見せるところもあったが、車中泊4泊、オートキャンプ場2泊、ホテルなど宿3泊の9泊9日間、家族を載せたヴァナゴンは概ね順調に日程をこなした。ヴァナゴン親子旅第2ステージは無事終了である。
Brogらしく旅の行程中をライブでアップしてみようかなんて考えても見たけれど、とてもそれは無理であることがわかった。
まず子供たちの起きている時間にPCを立ち上げて原稿を書くことなど無理だし、一日2人の子供たちにつきあったあとなどは、そんな体力すら残っていないのである。もちろん携帯からでもアップできることは知っているが、まず携帯で長文を打つこと自体たるいし、最近携帯でポチポチ文章を作っているうちに、何を書こうと思っていたのか忘れてしまうことも多くなってしまった。やばいやばい。
まあ宿題の絵日記も夏休みが終わってから、というのが当たり前だったし(我が息子については、母親が口うるさく宿題をやらせているのでその心配は無さそうだが)、旅をしている途中は旅そのものを楽しもうということで、帰ってからツラツラと書くことにした。
準備編
親子4人分9日分の荷物の量となると、これがけっこうな量になる。ただ夏ということもあり、衣類が随分少なくなるのはありがたい。途中洗濯することを前提にすれば、また減らすことができる。日本国内、何かしらはできるものである。
昨年の四国1周に続いて、親子旅2回目となる今回の主な装備は以下の通り。細かいものはこの他にもいろいろあるが、まあこれがあればキャンプには困らないだろうというレベルだ。こういう記録をしておくと、子供の成長にしたがって装備がどのように変わっていくかわかるので面白そう。
●マクラーレン・ガタパウトチェア2脚
昨今のオートキャンプ場ではもうすっかり見なくってしまった。やはり畳んだときのコンパクトさと座ったときの快適性のバランスは高次元。
今回利用したオートキャンプ場では、水場が近かったりサイト内にあったりで出番はなかった。持って行かなくても良かったかも。
●子供用折り畳みチェア2脚
昨年はイスよりもベッドの方を好んだ子供たちだったけど、今年はこちらにちゃんと座りました。年齢(体格)と関係するのだろう。
●ロール・ア・コット2脚
昼寝用ベッド。のつもりだったけど、熱帯夜を回避するためにキャンプ場では俺がここに寝て、車の中に空間を大きくとった。これって今も売っているのかなあと思ってちょっとググってみたら、扱いっているところがあるようだ…が、今はこんなに高いのか?!
●コールマン・アルミロールテーブル
ま、テーブルはやはり定番ですね。キャンプ場に限らずちょっとした昼飯でも必需品です。
カヤック乗りのクセなのか、テーブルにせよイスにせよ収納時には細長い棒状になるものを選んでいる。しかし車でも収納時に場所を取らないことに越したことはない。
幸いキャンプ中に雨に降られることがなかったので出番はなかったけど、車には常に載せているもの。
親子4人分9日分の荷物の量となると、これがけっこうな量になる。ただ夏ということもあり、衣類が随分少なくなるのはありがたい。途中洗濯することを前提にすれば、また減らすことができる。日本国内、何かしらはできるものである。
昨年の四国1周に続いて、親子旅2回目となる今回の主な装備は以下の通り。細かいものはこの他にもいろいろあるが、まあこれがあればキャンプには困らないだろうというレベルだ。こういう記録をしておくと、子供の成長にしたがって装備がどのように変わっていくかわかるので面白そう。
この項すでに帰ってから書いているので、ついでにコメントも書いてしまう。
●マクラーレン・ガタパウトチェア2脚
昨今のオートキャンプ場ではもうすっかり見なくってしまった。やはり畳んだときのコンパクトさと座ったときの快適性のバランスは高次元。
今回利用したオートキャンプ場では、水場が近かったりサイト内にあったりで出番はなかった。持って行かなくても良かったかも。
●子供用折り畳みチェア2脚
昨年はイスよりもベッドの方を好んだ子供たちだったけど、今年はこちらにちゃんと座りました。年齢(体格)と関係するのだろう。
●ロール・ア・コット2脚
昼寝用ベッド。のつもりだったけど、熱帯夜を回避するためにキャンプ場では俺がここに寝て、車の中に空間を大きくとった。これって今も売っているのかなあと思ってちょっとググってみたら、扱いっているところがあるようだ…が、今はこんなに高いのか?!
●コールマン・アルミロールテーブル
ま、テーブルはやはり定番ですね。キャンプ場に限らずちょっとした昼飯でも必需品です。
カヤック乗りのクセなのか、テーブルにせよイスにせよ収納時には細長い棒状になるものを選んでいる。しかし車でも収納時に場所を取らないことに越したことはない。
幸いキャンプ中に雨に降られることがなかったので出番はなかったけど、車には常に載せているもの。
(準備編その2)車内はMan Maximum、Baggage Minimum
荷物のパッキングに関しては、長年の人それぞれの旅のスタイルによって少しずつ蓄積されたノウハウというものがあるので、これが一番、というわけではないが、僕の方針としては、前回の四国の旅のときにも書いたけど、子供たちを連れて車中泊を前提とした旅をする場合は、極力車内を広く使えるようにキャンプ道具などの大物はなるべく車外に積むようにしている。アウトドア関係誌やアウトドア系自動車誌などでは車内にいかに効率的に積むかのノウハウが紹介されることが多いが、車内で過ごす時間が多くなる車旅では 「人の自由度」を上げておいた方がストレスは少ないと思うのだ(もちろん走行中はシートに座り、シートベルトをする)。特に子供が小さいうちは。
ただし、当たり前だけど車の外に荷物を括り付けようという場合は、落下しないように細心の注意が必要となる。
T-3ヴァナゴン・ウェストファリアはそうした考えに賛同してくれているのか(笑)、車内や外に多くの収納スペースがある。
前席上にあるカーゴスペース、そしてそれに合わせたGo Westy! のカーゴバック。
ただこのカーゴバック、防水性に難があることが判明したので、ベッドやイス、テーブル類などの濡れても影響が少ないものを入れるようにする。
そしてリアにとりつけたサイクルキャリア用のカーゴバック。実は前々から欲しかったのだが結構良い値段がした。しかし最近大幅に値下げされたので(購入したショップによると、Fiamma製品の中で唯一値下げされたものだとか)購入することにした(ただ以前の写真と比べると、材質も変わったように見える)。
ハードタイプのものと比べて防水性は落ちるが収納力はバツグン。ただフレームどころか中敷きもないので、収納をきちんとしないとなんともみっともない形になってしまう。太いベルトで固定するので、落下はそうそうないとは思うが。いずれにせよ、少々工夫が必要かと思っている。
防水性も、旅行中数度の夕立にあったものの、ファスナー部分に少々の漏れがあったくらいで、カーゴバックよりも防水性は高いようだ。
というわけで、天気図とにらめっこをしながら、出発までの1週間をかけてじわじわと準備をしたのだった。
T3ヴァナゴンの旅(中国地方編)
というわけでようやく出発でごぜーます。
出発は例によって金曜夜。当初、週末は隠岐をカヤッキングするという取材が入っていたので、先に僕だけ島根入りして後に空港で家族と合流するという予定だったのだが、今夏2度目の週末台風となった「ウサギ」chanに隠岐行きをぶっとばされてしまったので、皆で行くことにした。長男としては飛行機に乗りたかったみたいだけど…。
長距離はETCの深夜割引を使わない手はない、というか使わないと高速代金が高くてしょうがない。しかし夏の車中泊は暑さとの闘いになると考え、中央道でしかももっとも標高の高いところで仮眠しようと考えた。
しかーし、皆同じことを考えているようで、けっこうフラフラになりながら滑りこんだ諏訪SAは乗用車、トラックともにほとんど一杯。あれ?あそこだけ空いているな、と思って車を寄せてみると、冷蔵車が巨大な音をたてている。なるほど、それでか。ハッキリ言ってハンパじゃなく大きく迷惑な音である。仮眠中のトラックのアイドリングを止めさせようと(こちらはCO2排出を押えることが主な目的だとは思うが)公団がSAに電源を設置する計画を進めていると読んだことがあるが、是非可及的速やかに進めてもらいたいものである。
というわけで、そこから先のいくつか目のPAでようやく静かな場所を見つけた。
本日はここで仮眠なり。子供たちは1F、僕は2Fで寝る。T-3ヴァナゴン・ウェストファリアはルーフが持ちあがり(しかし手動。しかもすこぶる重い)、そこに2名分のベッドができる。しかし人よりも体格がいい僕は、対角線を使って寝ないと頭が落ちてしまうのだ。実際、よく枕が落ちて都度目を覚ましてしまう。
まあそれはそれとして、この準備のときに車内に荷物がないとすこぶるスムーズにベッドメイキングができるのである。
このPAも標高が高いせいか温度的にはなかなか快適。よく眠れそうだ、と思ったときにはもう寝ていた。
梅小路機関車館
明け方、ルーフをたたく雨の音で目を覚ました。
手早く準備をしてエンジンをかけ、さらに西に向かう。まだ先は長い、長い。しかし期待でいっぱいである。今日は土曜日。しかも夏休み中。名古屋からの下り線は渋滞するかなあ、と思っていたら案の定渋滞した。気温がグングンあがる。
エアコンの風力を3にすると、ようやく前席まで冷風がなんとなく届く程度になる。しかし家族がいるキャビンは十分冷えているというからOKだ。
ちょっとアクセルをくれて戻したら・・・警告灯類が点灯?!
なんとエンジンがストールしてしまった。おいおいマジかよ。暗雲漂うヴァナゴン親子旅!緊張の車内。
一旦車を止めてエンジン再始動。一発でかかる。うーむ、まだ出発して間が無いぞ。アイドリングの不調は小康状態だったが、長時間の高速走行とAC使用が高負荷となって調子を崩したかな。
渋滞が終わり、通常走行に入ると特に調子を崩すことはなかった。
まずは帰りに寄る予定であった梅小路機関車館に行くことにする。降りるところは京都南IC。いつもファントムガレージに行く時に降りるインターだ。
その前に腹ごしらえをするかということになり、場所を把握している天下一品ラーメンへ。まだチェーン店化する前からのファンだが、まあチェーンになればなったで便利ではある。
梅小路機関車館に入った。夏休みで混雑しているかなあ、と思ったらさほどでもない。炎天下にコンクリート製の建造物のところにわざわざ来る人も少ないかなあ。
スチーム号はC61形2号機だった。長男はなぜか今C62形にはまっており、ちょいと残念そう。梅小路ではC622号機も動態保存されているが、今回はローテーションの関係か外れていたようだ。運行時間は決まっているが、お客さんが多いときは、その時間前から数回往復するようだ。
外はたまらなく暑いので機関庫の中に入る。そこはいくらか涼しい。なんとなく前回来た時よりも寂しい感じがするのはC62が引き出されているからかな。
奥には鉄道模型レイアウトがあり、レイアウトによっては子供も遊べるような作りになっている。ああ、家に帰ったら作らなければなあ。
シーナリーの参考にと思ってみたが、どうも作りが粗いし、HOがほとんどなので見るものもないか、なんて視線を外しかけた…ら、「!!」。
ある一点に目が釘付けになった。
なんとT-3ヴァナゴンの1/87ミニカーが配置してあるではないか!しかもダブルキャブにハイルーフの救急車に消防指令車?というなんともマニアな3台。うーむ、メルクリンならいざ知らず、普通日本風のレイアウトにわざわざこんな車は置かんわな。作り手のこだわりか?でも屋根が飛んだり崩壊した建物があちこちにあったり…少し直した方がいいのでは。
というわけで、ヴァナゴンネタで〆!!(笑)
この日の宿は、丹後半島の付け根まで走って民営国民宿舎という「丹後由良荘」に投宿。いや値段の割りにはなかなか良かったですよ。実際団体さん2組もいて大混雑でした。
給油 46.73L(養老SA)
天橋立から鳥取砂丘へ
翌日は朝から圧力を感じる日差しに怯みつつ、どう考えても消化しきれんだろ的なもり沢山のプログラムをかかえて西に向かう。僕は翌日「カヌーライフ」誌の取材漕ぎが入っているので、この日のうちになんとしても出雲の近くまで達する必要があるのだ。
しかし地図を見たカミさんが「天橋立に行きたい」という。これは当初考えていなかったところだ。まあほとんどカヤックorSLという俺or子供たち用プログラムばかりなので、少しはカミさんの希望も入れるべきだろう、ということで針路を北西にとった。
流石屈指の観光地だけあって各所に標識が出ており、問題無く到着した。あちこち駐車場の呼びこみをしていたが、結局町営駐車場に入れた。が、実は天橋立まで結構距離があることがわかった。
とりあえずちょっと歩ければいいか、と思っていったのだが、同じ方向に向かう集団が皆海水浴の風体をしている。うーむ、事前調査ナシに行ってしまったので、まさか海水浴場があるとは思わず。まあ水遊び程度ならいいか。
海に入りたいというので、タオルはあるからハダカで泳げば、と言ったらそれは嫌だという。まあ2年生にもなればそれもそうか。ただでさえ人一倍人の視線を気にするようなんだよな、こいつは。でもここは単なる観光地と思っていたが、実は結構メジャーな海水浴場のようだ。
通り一遍の土産物屋が並ぶ中で思わず足が止まったところはここ。
「絹てまり」というらしい。風に揺れる様は何か和む。店内にはJazzがかかっていていい感じだったが、自分らの暮らす家に似合うところがないと買うことをあきらめた。(あとで調べたら東京でも買えるのね)
というわけで天橋立を出たのは結局昼過になってしまった。まあいいか。
加悦SL広場
次ぎに向かったのが「加悦(かや)SL広場」というところ。これは前回作成した「親子で楽しむSL旅行+撮影ガイド」で掲載しようか迷ったところだったが、基本的に自分の目で見たもの以外掲載しない、ということにしたので掲載を見送ったところだ。なので、ずっと行って見なくちゃな、とも思っていたところでもある。
ところがマップに載っていないんだな、この施設。ようやくたどり着いてみれば、道の駅の正面にあった。
タオルを巻いて腋下に挟んでクールダウン。しかし僕はボウっとしていてそのまま持ちかえってしまうところだった。
…正直、調査かなにかが目的があってじっくり見たいのでは無い限り、2~3時間もいたら飽きてしまうだろうなぁ。車両の配置はなかなか考えられているとは思うケド。正直炎天下ではツライ。
食事は客車(気動車)を利用した食堂・レストランがある。和食中心と洋食中心で違う店だ。子供のリクエストで和食の方へ。
次男はボリボリと氷ばかり頬張っていた。が、長男にはどうもここのソバの味は合わなかったようである。
で、ここを出たのがもう午後の遅い時間。目標は鳥取砂丘。うむむ。
餘部鉄橋から鳥取砂丘へ
気を取りなおして再び西に向かう。
途中「餘部鉄橋」があることを思い出した。通り道なので必然的に出会うことになった。てっきり既に撤去されたと思っていたが、まだまだ当面現役だとのことだ。町のほうでも「まだ撤去されていません」という宣伝にやっきになっているみたい。
鉄橋を渡る列車なり気動車なりを撮影したくもあったが、ダイヤわからないし、この炎天下の中、あの撮影場所まで登って行くのもかなりシンドそうだ。しかし鉄橋の付けねのところに目を凝らしてみると、いますいますカメラマンの集団が。
子供たちは完全にお昼寝タイム。カミさんにも出発前から「鳥取砂丘を見たい」と言われていたので、先を急ぐことにする。そして鳥取砂丘に着いたのはほとんど夕方だった。
遅い時間だったので、砂丘入り口にヴァナゴンをとめられた。
しかし考えてみれば、真夏の炎天下、砂漠を歩くのはかなりシンドそうだし、子供たちにとっては危険だ。結果的にはいい時間になったのかも知れない。案の定砂も冷え始めていて、裸足で歩くと心地良い。
前回、といっても15年近く前になるけど、来た時は「こんなもの?」的な失望感があったけど、子供たちと歩いてみて「あれ?こんなに広かったっけ?」と新たな記憶に更新された。
何かと登ることのが好きな長男と砂丘を登る。そこには僕が昔来たときと同じように海が広がっていた。彼が次ぎにいつ、誰と来るのかはわからないが、少年の日の記憶と照らし合わせたとき、どのような思いを持つのだろう。
気温が多少下がった夕方とはいえ、汗ばんだ身体で砂丘を歩けば身体は当然砂だらけになる。うーむ、これはどこか温泉に入らないとタマラン。ということで情報誌や地図でアタリをつけてみる。
するとカミさんが「ハワイがあるよ」という。
へ??それは宇佐と同じレベルの話しだろうか(宇佐=USA)
しかし確かに「羽合」と書いて「はわい」。はわい温泉という地名である。うーむうーむ、これは極端にどちらかに振れる可能性が高いぞ。と思いつつ、時間的にも温泉施設を使うのであればそのあたりまでが限界のように思えた。とにかく、夜の国道つ~ぱしる♪
ところで鳥取は温泉が多い。これは地元の人にはアタリマエカも知れないが僕は意外だった。(この調子で島根に入ってから、あとで痛い目にあったりする)
マップ(といっても「るるぶ」)にはそれっぽい名前の施設を発見した。しかしその施設の解説はどこにも載っていない。うーむ、しかしこの名前は温泉施設に違いない!という妙な確信があった。
はわい温泉は国道から少し内陸部に入ったところにある。国道に立っていた標識で町に入ったが、その後はまったくのカンである。一応マップにあるが所詮は「るるぶ」のマップである。そしてマップにある「ハワイゆ~たうん」も温泉施設という保証は無い。かと言って、他の場所まで走る時間的余裕などまったくない。A型にはあるまじきいい加減さである。
途中標識があったが、その施設の名前ではない。曲がろうか迷ったが結局まっすぐ行く。ところが道はどんどん森の中に入っていく。うーむ、これは間違えたな。こういうところでは施設は固まってあるに違いない、ということでUターン。
街路灯もロクにないところで、頼りないヴァナゴンの前照燈の光りでとにかく施設の看板を探す。すると、ありました!
見事どんぴしゃ日帰り温泉施設。温泉周りは民家。こんな施設があるような場所じゃないところにあった。中はとにかくだだっ広く、天窓まであって素晴らしい温泉施設。しかしお客さんは僕ら家族だけ。別の意味でちょっと心配になった。
とりあえずなんとか汗+砂+疲れを洗い流すことができた。ふう。
さて、これからさらに出雲の国まで走らなければならない。明日はいよいよ海を漕ぐのだ(僕だけだけど)。
またまた夜の国道を西へと突っ走っていった。
出雲大社&キララ多伎キャンプ場
前日は境港にあるホテルに投宿。なんか凄まじくアヤシイ趣味のホテルだったのだが、20年近く前の国体では皇太子様も投宿されたとか。
この日は出雲市でいくつかの観光をした後、宿泊が海のそばのキャンプ場ということもあるので早めにキャンプ場入りようということになった。
まず島根ワイナリーではワインのボトル詰めの様子を見学した。またワインとぶどうジュースの試飲ができる。工場見学~♪は息子たちの間でちょっとしたブーム。
そして車から5分程度のところにある出雲大社に行く。古代出雲歴史博物館を見学して、昔の出雲大社はまったく違う形であったことを知る。
出雲大社でどうしても見たいものがあった。
「千と千尋の物語」のイントロダクション、川を渡って来た船から湯屋のあるところに上陸してくる杓を持った神々が顔につけている面布、これと同じデザインのものがあるとどこかで読んだことがあり、是非実物を見たいと思っていたのだ。
しかし博物館には無く、境内にある宝物館にも無かった。帰ってからちょっと調べたけど、特に出展もなさそうだし。うーむ、どこで読んだのだろう。
ふと携帯を見ると会社からメールが入っているし…。結局、出雲大社では電話やらメールに追われることになった。帰って来いとならなかっただけマシか…。
で、結局探しものは無かった。やはり特別な人でないと拝めないのかな。
出雲市内で買い出しをしてキャンプ場に向かった。出雲市内からそう遠くない。「キララ多伎キャンプ場」というところだ。
まあ、とにかく眺めはいいのだけれど、どうせなら海岸に近い方からひな壇にしてくれれば奥のサイトでも海を眺めることが出来るのに。
受け付けでキャンプサイトを案内されるが、海岸から結構高低差がある。丘の斜面を造成して作ったような感じだ。どちらかというとバンガローがメインのようだ。サイトは8つほどしかない。考えることは皆同じなのか、場内の道路もしょっちゅう自動車が往来する。=子供たちが歩くには危ない=こちらも車で海の近くまで行くしかない。
花火はキャンプ場でやらないでくれという、じゃあ、海岸でやってもいいか、と聞くと、畳み掛けるように夜は10:00までと条例で決められていると言って来た。よほど遊ばせたくないのだろう。
今回の旅はなるべく「キレイな」オートキャンプ場を利用することにした。というのは単に子供が小さいから。自分ら家族だけなので、なるべく目が届くように整備された方がいいだろう、ということからだけである。ただ「キレイ=規制が厳しい(ウルサイ)から」に過ぎない。
もう夕方に近い時間だったので、キャンプの準備もそこそこに子供たちを着替えさせて海に向かった。…が、またもやどうも雲の動きがアヤシイ。風も出て来た。
うーむ、嵐は隠岐行きを奪っただけで十分でないのかい…。
長男はとにかく一回は海に出ないと収まらなさそうだったので海岸に出た。波打ち際で遊んでいると、しばらくしてゴロゴロと音が聞こえて来たので砂浜に上がらせる。また雷雲がはるか遠くの海上を時折イナヅマを光らせながらゆっくりと横切っていった。
2年前、沖縄はケラマでカヤッキング中にストームに追いつかれてしまったときのことを思い出した。目の前にあるはずの渡嘉敷島がまったく見えなくなり、イナヅマが乱れ飛んだ。海面に浮かぶカヤックなどいつ落雷してもおかしくない状況だ。あの時は本当によく生きて帰って来たと思う。経験を積むたび臆病になっていく。
そろそろ食事の支度をしなければならなくなったのでサイトに戻った。キャンプだけが目的の場合は料理もいろいろチャレンジするが、今回は旅の途中のキャンプ、効率的で楽しめるメニューがいい。というわけで、大定番のカレーとなる(笑)。
夜になってもあまり気温が下がらない。広そうで狭いサイトなので、これは次男が夜泣きするとまずいなあ、ということで、車内をなるべく涼しくするために僕は外で寝ることにした。
そうすると2F部分が吹き抜けになり、リアゲートも開放することによって(ここは流石なのだが、全面をカバーするモスキートネットを取り付けることができるのである。これで大分風が通るはずである。
夜露を防ぐためにカーサイドタープを出して、その下にキャンピングベッドを出して寝転んだ。メッシュでなかなか快適。あとは蚊に襲われないことを祈る、いや祈るだけでなく対策もしよう、ということで、ベッドの4角に蚊取り線香を設置。何かのまじないみたいである。
島根海洋館でシロイルカ
その夜は虫に悩まされることもなく意外と快適に眠ることができた。車内の風通しも良かったみたいだ。
今回はじめて使った新兵器、サイドドア用のモスキートネット。購入は結構前だったけど(すみません、バックナンバーを探す時間がないのです)なかなか使う機会がなかった。日本の夏はとにかく虫対策ですね。
出発前にせっかくだからちょっと泳いでいこう(昨日は雷雲が発生してまともに泳げなかったのだ)、ということになって海に向かった。
さて、今日も西へと走らなければならない。途中、寄ろうかどうしようか迷ったところがある。
石見銀山だ。
世界遺産に登録されたということでちょっと興味があった。しかし「世界遺産」ブランド目当てに相当な人が来てそうだなあ、という予感もしていた。あちこちにポスター貼りまくってあったし。ある場所の世界遺産登録後のとんでもない喧騒も聞いていたし。今日は萩あたりまで走りたいと思っていたので、結局パスした。
帰ってから、ちょうど石見銀山の観光ラッシュの様子をテレビは報道していた。正直行かなくて良かったと思った。
浜田に「島根県立しまね海洋館」という水族館がある。ガイドを見ると結構立派な施設のようだ。これは寄ってみたかったが、長男は大阪にある海遊館を10分で駆け抜けたという前科がある。その頃に比べれば多少は見るということにこらえ性が出来ていると思うが、次男がちょうどその当時の年齢だ。
そこで「ニモに会いたい?」と聞いてみた。2人とも即座に「会いたい!」という返事。ハイ、決まり。旅行に行く前にレンタルで借りてきて見た「ファインディング・ニモ」のおかげか。
そうだ、話しがずれるが、今やっている「レミーのおいしいレストラン」。ディズニー・ピクサー制作の映画だが、この映画の紹介文のイントロダクション、「モンスターズ・インク」「ファインディングニモ」、そして「Mr.インクレディブル」世代や国境を越えて人々に愛されて続けてきたディズニー/ピクサーから、世界でもっともおいしい映画が誕生しました」って、昨年公開されたばかりの「Cars」がひとことも入っていないっていうのはどういうわけだ~。
うーむ、なんで??ブ●ナ・●スタのNさん!!
というわけで、前回より大幅に記録を更新して、2時間ほど水族館にいることができた。んでも未だ小さい水槽はぶっとばされてしまうんだよなあ。俺が見たいものはほとんど見れず(泣)。
島根の温泉は8時まで??
今度はT-4乗りの方からもメールをいただきました。
そういえば前にT-2乗りの方からもいただいたことがあります。
T-2もT-4も好きです。実は最初にワーゲンベースのキャンパーを見て感嘆したのは、T-4の方でした。いつかT-2、3、4で集まれたらなあ、なんてことも思っています。
さて、山陰地方を走ると距離以上に遠く感じるのは、やはり道が曲がりくねっているからかなあ。でも高速をぶっとんで行くよりも、このヴァナゴンには合っていると思うのである。
ロードサイドの食堂でメシを食った後、お風呂入りたいねえ、ということでガイドブックを広げてみる。
が、鳥取にはあれほどあった温泉が島根にはほとんど無い。
一番近いところで田万川(たまがわ)温泉だ。しかし日帰り温泉施設の具体的な案内は無い。「田万川温泉憩いの湯」という、とりあえずはそれらしい名前があったので行ってみる事にする。
温泉つうても基本的に風呂なわけだし、まあ夜9時くらいまではやってんだろうとタカをくくっていた。
そして川向こうに見えたその施設。だがやけに暗い。
ま、まさか。
そう、既に閉店していたのである。このとき時間は夜8時。早過ぎ~!「全員集合」でもやっているのとちゃうのか。
ここで営業していないとなるとかなり絶望的である。島根に入ると温泉の数は激減していた。国道からさほど離れられないとなると、萩の手前、阿武町の道の駅まで行くしかない。そこには日本海温泉「テルメ阿胡」という施設が地図には書かれていた。
道の駅ならトラックの運chan相手に深夜営業、いや24時間営業をしているかも知れない!という淡い期待をこめて再び車を走らせた。
子供たちは既に後席で寝ている。こりゃ温泉見つけて入るよりも起こすほうが大変かな。
夜中、道の駅に到着。奥が温泉施設のようだ。暗い。…やっぱりやっていなかった。営業時間を見ると20:00までとある。もしかして島根は生活時間が違う??
なら早朝からやっているのかなと思いきや、開店はなんと11:00。温水プールまである道の駅だが、それよりも温泉施設の時間を延ばしてくれー。
そのまま寝てればいいのに、こんな時に限って子供たちが起きて来た。そして道の駅なのに、ここには遊具があった。当然遊ぶ。夜になって涼しいからなかなか止めようとしない。
仕方ないので最後はひきづるようにして車に押しこんだ。
幸いなことにこの日はえらく風が強かった。車を風に向かって立ててポップアップルーフを上げる。そしてリアゲートを少し開けることができるロックエクステンションリアハッチを取り付けてみる(2007年5月30日の日記)。
僕が2階で寝ても十分に風が吹きぬける。これはなかなかいいかも知れない(ってIさんからも使えるパーツってメールもらっていました。ようやく証明できたわけです)。
うーむ、明日はどうせ朝からカヤッキングだし、まあいいか。
萩でファミリーカヤッキング!
今回のガイドをしてくれるGIパドラーの高木さん夫妻と道の駅「萩しーまーと」で待ち合わせ。
奥さんの寧子さん(旧姓岩本さん)は、その昔、リバースチールというインポーター、ビルダーで働いていた。そして女性シーカヤッカーの先駆けだった人だ。今は結婚されて萩で今年から GI Paddlers(「ギ」パドラーズと読む。「ギ」は萩の「ギ」だそうだ)というアウトフィッターを開業した。今は二児の母でもある。女性カヤッカーの先駆けから母親パドラーの先駆けになったと言えるかも。
ちなみに僕が使っているパドル、レンダルのノードカップというモデルだが、もとは彼女が使っていたものを中古で買ったものである。150cmくらいの女性が使っていたパドルを185cmの僕が使っても問題ない。
萩は古地図が未だそのまま使えるというくらい、昔ながらの街並みが残っている。
さて、この日は僕だけではなく家族全員でシーカヤッキングを楽しむ予定。
次男にとっては2歳と9ヶ月でシーカヤックデビューだ。そしてカミさんにとっては長男が生まれてから8年ぶりにパドルを持つ。僕にとっては家族4人で海に出るのは初めての経験である。
前のキャンプではPFDを着けるのを嫌がった長男もカヤックに乗るときはつける。長男がつけていると、次男もマネしたいわけだからつける。長男はなぜカヤックに乗りたいかと言うと、コックピットがF-1に似ているから。まあ、理由はなんでもいいけど。
しかし次男はいざ出発と言うところになって、上機嫌から一転して爆泣き。カミさんと一緒に乗るのではなく、さっきまで乗っていたガイドさんが使う予定だった1人艇に乗りたいという。
いや、準備のときには順調だったわけですね。カヤックが3艇あったので、彼は「マックイーン」「チック」「キング」と名前をつけていました。ちなみに1人艇が「マックイーン」。なので乗りたかったようだ。
その意気や良し。でも流石にちょっと漕げないよなあ…。仕方ないのでなんとかなだめながら前席に押しこんだ。
長男は今までも何回か僕の前席を漕いでいるし、カヌーライフデビューもしているくらいなので、まあ問題は無いだろう。
子供は子供用のパドルが望ましい。用意してくれた子供用のパドルを渡すと、
「お父さん、僕のパドルは?」
と聞く。ゴメンゴメン、忘れてしまった。自分のは持ってきたくせに子供のは忘れた。いや、オレの場合仕事なので忘れるわけにはいかんのだ。
萩は町全体が城下町で、もとお城があった山は海に面したところにある。街中に掘割も残っていて運河の役割を果たしている。そこをうまく使ってツーリングをするわけだ。
いざ出発しようというとき、次男がカミさんと乗ることを拒否。しかし兄ちゃんとなら乗ってもいいという。ううむ、仕方ない。兄弟を前席のコックピットに乗せて出艇する。山を周りこめば向かい風になることが予想できたが、危険なほどではないだろう。だけど戦力にならないな(笑)。長男のパドルをバウのショックコードにくくりつけて出発。
途中、兄弟ともに爆睡。しかも強烈な向かい風。まあしかし安定して?向かい風なので単なる体力勝負である。
運河には遊覧船も通っている。船着場でひとことふたこと会話をかわす。
出発地点に戻るには川を遡らなければならない。こんなまっすぐな川、エディ(反転流)なんてほとんど無いし、ひたすら向かい風に対向して漕ぎ続けた。二人ともおきるそぶりすら見せないし。
ゴールは昼過ぎ頃の到着を目標にしていたが、到着は2:00ごろになった。
子供たちをコックピットから持ち上げると、車の中に寝かせた。こんなときにキャンピングカーは楽ですな。
観光地と呼ばれている街一周でこれほどまでに変化に富んでいるところも珍しい。何よりも街のすぐ傍の海がこれほどまでに美しいところもそうないのではないか。
萩アクティビティパークのオートキャンプ場にはサーキットがあった。
簡単に旅の記録をしておこうかな、と思って書き出したけど、結構タイヘンなことになってしまった(苦笑)。まあ、そのおかげで「自分もT-3を手に入れてここに行きました!」というお便りとか、高校時代の友人のカミさんがハワイ出身だったとか(スミマセン、字を間違えていました)、とかよく浜田に行っていました、とかお便りをいただくのも嬉しいものです。
さて、温泉、買出しと済ませて、萩アクティビティパークのオートキャンプ場に入った。
この場所にしたのは、子供たちにとってはメインイベントとなる「SLやまぐち号」に乗車を次ぎの日に控えているため、少しでも山口線に近いところにしようということから。しかしこの場所は萩から意外と遠く、これまた夕方になってしまった。
キャンプ場の入り口にカート用のサーキットがあった。長男の目の色が変わった。
あとは「乗せろ乗せろ」攻撃である。
チェックインを済ませると、予約している客では一番最後だから、どこでも好きなサイトにしてくださいという。
事務所にはカブトムシが売っていた。近くの農家に頼んで分けてもらったという。堆肥を作っているところにいくらでも「湧く」そうだ。このキャンプ場で採れるの?と聞くと言葉を濁した。昨日から羽化が始まったというから、カブトムシが生きるにはちょっと標高が高いのかもしれない。
レンタルカートがあるかと聞くと、小学校低学年でも乗ることができる(といっても2人乗りだが)そうだ。
これを聞くと、さらに長男の「乗せろ」攻撃は激しさを増した。僕もちょっと興味があったので、サーキットの事務所に、あとで行く旨連絡を入れてもらう。
サイトを作ってしまうと動けなくなるので、そこでUターンしてサーキットに降りていった(またまた山の稜線を使ったキャンプ場なのだった)。
サーキットに着いて事務所に入ると、連絡入っています、と受け付けはスムーズ。
1周300円也。1周ではなんなので、3周で申し込んだ。アトラクションとしてはちと高い。誘導されたところに行くと、2人乗りのカートが2台置いてあった。が、ちとボロいぞ。大丈夫かな。
係員がキーを挿してイグニッション。キュルルルとスターターを回す音がする。長男はもう待ちきれない様子。
…しかしエンジンはかからない。
係員のおっさんは何度もスターターを回すがウンともスンとも言わない。違う車に乗り換えて同じようにスターターを回すが、こちらも同じ。恐らくほとんどお客さんがいない=整備していないのだろう。そのうち焦げ臭いニオイがしてきた。
ついにたまらず「これだけ回して(エンジンが)かからないなら、もうどっかおかしいんですよ、そんな車運転するのも怖いし、いいですよ」と断ると、スターターとシャフトを繋ぐベルトが滑っているだけだから、という。
おっさんが若いヤツを呼んでくると、なんと押し掛けをはじめた。2回目でエンジンがかかった。「やったー!!」と長男。でも押し掛けができる=遠心クラッチじゃない=車が止まったらエンジンも止まる、じゃないの?
おっさんによれば、一回かかれば大丈夫だというので、まあとにかくハンドルを長男に持たせ、僕は助手席側に座った。しかし次男が寝ていたのは幸いだった。起きていたらもうヒト悶着あるところだ。
サーキットを走るのは楽しい。本人はもっとスピードが出ることを期待していたようだけど、十分だろう。アクセルベタ踏みの状態から何度も急ハンドルを切り、「ドリフトできないねえ」などとほざいていた。
無事3周終えてピットに帰ってくると、カミさんがよく我慢していたね、と感心している様子。それは長男が乗れなかったときの尾の引き方が長そうだったこともあるし(ハゲシク落ちこむヤツなのだ)、せっかく「タクマ」という名前なのだから、たまにはサーキットを走らせたいなあ、なんて思ってしまうのだった。
まあおそらく、車に関して言えば、ヴァナゴンのおかげで大分忍耐強くなったのではないだろうか(苦笑)。
さて興奮の長男を乗せて再びサイトに向かった。山の斜面にひな壇状に作られたサイトは、谷側の方が開放感があって見晴らしがいい。しかし次男が転げ落ちる心配があったので、山側でなるべく障害物のないサイトを選んだ。
落ち付いたらカブトムシ探しだ。未だ出てくる時間には早いが、いる可能性があるかどうかサイトの周りを歩いてみる。が、雑木林はあるもののクヌギがとても少ない。カブトムシやクワガタがいる林は、一歩入ると「ニオイ」がする。残念ながらここもちょっと厳しそうだ。
食事後、カミさんと子供たちは車の中で早々に寝てしまった。この日はカヤック+温泉+カート+キャンプ。そりゃあ疲れたろう。
旅も終盤に入っていく。子供たちもそろそろ疲れてくるころだろうか。
出雲で買ったワインをひとりでゆっくりを飲んでいたら、シロスジカミキリがランタンにぶつかってきた。残念、しばらく観察したり遊んだりした後、暗闇に放した。
日が落ちると寒い。これは外で寝る必要も無いかな、車で寝よう。
SLやまぐち号
津和野駅前の駐車場にはD51形機関車が置かれていた。確か以前は国道から津和野の町に降りて行く途中にあったかと思うのだけど、移動させたのかな。
翌日、子供たちは朝から元気良く起きた。今日は「やまぐち号だ!」。うーむ、流石の回復力ね。
朝食もそこそこに、チェックアウトして津和野に向かう。
関東近辺の「SLもおか号」や「パレオエキスプレス」のように本線に普通列車が何本も走っているような場所と違い、山口線ではSLに乗ったらどう帰ってくるかをきちんと考えておかないと大変なことになる。
このときに取れた切符は長門峡 → 津和野だったので、先に津和野に行き、普通列車で長門峡に入り、約30分ほど待って「やまぐち号」をキャッチすることにしたのだ。津和野にはちょっと早めについたので、街を散策してみることにする。
そういえば山陰と呼ばれる一帯で、いわゆる旧車を見たのはたった3回ほど。それも松江でシトロエントラックとビートル、そしてこの津和野のタイプ2だけであった。
こちらの地域であまり旧車を見ないのは、車は本当に「道具」だからかな。ちょくちょく壊れたんじゃ困るものね。
まさに山口線はローカル線。気動車1両。
沿線を見てきたけど意外にカメラマンの数はない。みんなおっかけかな。
40分そこらで長門峡に到着。道の駅で時間をつぶしたが、あっという間に1時間近く経ってしまい、結局駅まで小走りで行く羽目になってしまった。
そして長門峡駅の端っこでビデオカメラを構えた。
遠くからの汽笛が聞こえ、重連やまぐち号がホームに滑り込んできた。僕らが乗ろうとしたら、相当のお客さんが下車した。団体さんか。乗ってみると結構空席があった。
この日は煙突にいつもつけている集煙装置がなく、実にすっきりしたスタイルだ。超広角レンズですばやくショット。長時間停車の駅ではにわか撮影会になり、結構パニックな状況になるのです(苦笑)。
今回の目玉のひとつ、展望車マイテ49。残念ながらデッキ部分には入ることができなかった。大鉄道博とやらにあったセットの実物がここにあるわけだ。
ひとつひとつの意匠が素晴らしい。流石今は無い「1等」グレードだ(昔の2等がグリーン車、3等が普通車なのだ)。
というわけで、あっという間に津和野駅が見えてきた。やはり新山口駅から乗りたかったなあ。
秋吉台へ
津和野での転車台の作業を見てから、秋吉台に向かった。
だが、結局津和野を出たのが15:00近く。これなら白井の撮影地(「親子で楽しむSL旅行+撮影ガイド」参照…してくれたら嬉しい・笑)まで足を延ばしても良かったかなあ。
ふとガイドを読み返してみると、鍾乳洞に入れるのは16:30までだという。付帯設備もそのようである。
マジかよ?!普通18:00くらいまでやってないか?鍾乳洞なんて中は真っ暗なんだから、夜になっても同じような気がするが。まして夏休み期間中だっちゅうに。
距離から推測すると、時間内への到着はすっごく微妙。高速道路も無いし、道もけわしそうだし。
山口市内に入って車も増えて、益々ヤバイ状態になってきた。焦るのはよく無いのだが焦る。
とにかく全日本的な観光地なので、あちこちに案内標識があるのはありがたい。それにそってハンドルを切る。アクセルの踏み方もいつもよりもぐっと深い。そして上り坂。登坂車線があるからそこそこ急勾配。当然登坂車線に入りアクセルを踏む。エアコンを入れているのでパワーが無い。コンプレッサーのクラッチが切れたときだけグッとパワーが上がるのだが、そのタイミングもだんだんと短くなってきた。スピードが上がらないから十分に風が当たっていないのだろう。
しかし坂が延々と続く。こんなに長い坂はそうないんじゃないか??
そうこうしているうちに水温がどんどん上がってきた。ファンも「強」で回る。それでも水温は下がらず上限に近づいて行く。これはヤバイ。しゃあない、エアコン切るぞ、と後ろの家族に伝えてエアコンを切った。そして窓全開。これで水温上昇が止まらなきゃ、ヒーターオンだ。
水温の上昇速度は鈍ったようだが止まっていない。こりゃあ…というところで頂上が見えて来た。助かった…。ラジエターも新品に換えたのだが、未ださらなる熱対策が必要かも知れない。
なんかダラダラ上り坂にはとにかく弱いヴァナゴンなのである。
そして秋吉洞の駐車場についたのは、なんと終了時間の16:30。うー、間に合わなかったか。
駐車場は有料なので、係員に尋ねてみると、未だ見ることは出来ます、という。おっと、話が違うじゃん。
ここで次男を背負う背負子登場。2歳児を暗い鍾乳洞の中歩かせるわけにはいかないし、ベビーカーで鍾乳洞はツライ。というわけで背負子なのである。
「親子SL」の取材時には工事していた入り口が、随分立派なアプローチに変わっていた。なかなかにワクワク感がある。ちなみに僕は狭いところは余り好きではない。以前玉泉洞(沖縄)で苦しくなって途中で引き返したことがある(別の理由ではないか、という人もいたが)。カヤックでもあまり洞窟の中には入らなかったりする(撮影のためなら入るけど)。
しかし以前ここではそんな思いもしないくらい広かったので、また行こうという気になったし、子供たちにも見せたいと思っていた。
ところが、途中長男がトイレに行きたいと言い出した。外との気温差が原因かも知れないが、基本的に彼にはつまらなかったようだ。鍾乳洞の中にトイレは無く外まで戻らなくてはならない。結局早足状態で滞在時間わずか15分ほど。海遊館に匹敵する早さ。ここまでぶっ飛ばして来たのになあ…。
再び、やまぐち号へ。
翌日、SL重連の「走る勇姿」も見ようということで、実に久々にSL列車を撮影することにした。
「やまぐち号」は途中、仁保~篠目というところの峠でぐっと速度を落とす。この前後を狙えば、2回くらい見ることはできるのだ。もちろん無理は禁物であるが。
宿泊した湯田温泉近辺でもよかったのだが、どうせなら迫力ある姿を撮りたいということで、いわゆる定番と呼ばれる撮影地に行くことにした。
まずは宮野と仁保の間。
普段走っているSL列車は、今はほとんど撮影ポイントが決まっており、多くの人が集まる。なので、その近くには車がどっと止まっている。レンタカーが多かったり、それ風のステッカーを張り付けた車があれば近くに撮影地があることはほぼ間違いない。今回は未だ行ったことのない場所だったので(つまり「親子で楽しむ~」では撮影できなかった場所)、そのあたりをゆっくり走ってみると、いました、車の集団が(苦笑)。
というわけで。久々のSLショット。
列車が通り過ぎると、我先にと蜘蛛の子を散らすように一気に誰もいなくなる。次ぎの撮影地に向かうためだ。なーんかどうもうーむ、って感じなんだけどね。僕らは子供たちを連れているので、ゆっくり片付けていたら最後になってしまった。まあ、いいか。
次ぎは徳佐という駅の先にあるカーブである。ひたすら国道9号線を走る。
途中、後ろにカヤックを積んだハイエースが見えた。日御碕を一緒に漕いだ人が乗っていた車にそっくりだけど、ルーフに載せているのがリバー用のカヤックだから違うよな。…と思っていたら、後でその人から「あんなところで何していたんですか?」メールをいただいた。僕が鉄道写真家の顔も持っていることは、カヤック界では余り知られていない(笑)。
っつうても、僕も久々の撮影なんだけどね。
さて、SL通過の30分ほど前に到着。以前みんなが三脚を並べていた場所と微妙に違うところが撮影場所となっていた。なんかあったんかな。
次男はカミさんと撮影隊とは離れたところで見ることにして、僕は長男とその3脚の列に並ぼうとした、が、ちょっと待った。風がむちゃくちゃ強いのである。しかも風向も一定していない。もし線路の向こう側からの風となったら、煙はこちら側に倒れて最悪の事態になってしまう。
さらに秋に撮影した前回よりも、光線状態がよろしくない。逆光に近いのである。光線を優先したのか、線路の反対側に陣取っているグループもいた。
うーむ、これは賭けだなあ。いくつかの状況を観察して、当初の予定通りの場所にカメラを据えた。
しばらくして汽笛が響いた。いよいよ来た。ここはとにかくすさまじく煙を出すところで有名なのです。SLを撮影するときには、本体以上に煙がどのように流れているかを気にしなければならないのです。仁保~篠目での撮影は、子供たちが大きくなってからにしよう。さて、「SLやまぐち号」見学&乗車ツアーはこれで無事終了だ。針路を東にとるぞ!!
広島経由で帰路につく、まずは宮島へ
これで山口までの予定は終了。このまま一直線に帰るか?うーむ、何かものたりない。
どうせならと、広島県の厳島神社を寄ることにする。中国地方一周というからには、やはり瀬戸内海側の代表的観光地に寄りたい。子供たちには船に乗れる、ということで一アトラクションだ。鹿もいるでよ。
津和野を出発したのがほぼ14:00。夕方までに着くかなあ、と思いつつ、国道315号で一路広島方面に向かう。山道を越えると山間から海が見えたのに感動。瀬戸内海だ。反対側に出たア!
途中、山陽自動車道に乗って、宮島の一つ手前、ICで国道2号に降りた。
そして宮島。
観光客向けの駐車場に入れようとしたら、入り口のおっちゃんに「日帰りやったらそっちの時間貸しに停めたらいいがな」と言われた。
根本的に観光地における親切というのを余り受けたことがない身にとっては意外な喜び。
宮島に渡るフェリーはJR西日本と宮島松大汽船があって、両方とも同じ値段。なんか長男に「JR」がヒットしていたんで、とりあえず行きはJRにする。ただ行きと同じことをするのは面白くないので、行きと帰りで違う会社にすることにする。
ターミナルから斜陽になっても勢いの衰えない太陽の中、厳島神社に向かった。日御神社、出雲大社、そして厳島神社。中国山地を挟んでほぼ一直線に並ぶ神社を訪問。なんか意味が出来たりして。
車に戻って再び山陽自動車道に乗り、宮島SAで食事。さて今日はどこまで走れるか。梅小路機関車館は行きに寄ってしまったのであとは帰るだけ。その他どこか寄ろうか考えたけど、皆の様子を見てちょっと早めに帰った方がいいだろうという判断をした。
そういえば今日からお盆WEEK。どこかで渋滞につかまるかなあ、と思っていたら、京都を過ぎたあたりから下り線の車の量が随分増えて来た。うーむ、やはりそうなるか。大分疲れて来たので多賀SAに入った。この辺りでは一番大きなSAで、風呂や仮眠施設もあるくらい。風呂入ろうと思ったら下り線の方だし(行けないことはないようだけどくじけた)、ここで寝ちまおうかと思ったら、これが満車状態。おまけに数台横にはジェネレーター回している非常識なアメ車キャンパーもいる。
たまらず飛び出した。こんでいるときは有名SAはダメだな…。
渋滞ではあったけど、無事に東京に到着なのです。
というわけで翌日、夜明けとともに目が覚める。というか、例によって暑さで目覚めてしまった。旅の途中では、帰りに明治村でも寄っていこうかなあ、なんて思っていたのだが、もうこのときにはそんな思いも吹き飛んでしまっていた。とにかく東京に向かって走るのだ。
下り線は未だ大渋滞。というか、夜から渋滞が始まってしまっていたのだ。これは中京地区から脱出の人々か。…ということは名古屋を過ぎたら渋滞か??
案の定、中央高速の上り線は渋滞。西に下るよりは短いようだが、やはり炎天下、上り坂の渋滞はヴァナゴンには厳しいよなあ。ヴァナゴンに厳しい=乗っている人も厳しい。エアコンは(後方キャビンだけ)効くのだが、水温計とにらめっこになる。つくづく家族の理解がいる車である。そういえば今月の某誌のタイトルに「エンスーはかっこいい」的なものがあったな。普通に使っているけど、エンスーレベルなのかも知れない。このヴァナゴン。途中2度のPAストップで休憩しつつ、渋滞を切りぬける。あとはもう走るだけ。
藤野PAでモスバーガー休憩。なんかファストフードは久しぶりに食べた気がする。それはそれでGoodなことだ。ふと先頭を見ると、フロントグリルからヤンマが生えている??よくよく見ると、オニヤンマが頭からラジエターグリルに突っ込んで抜けなくなってしまっていたようなのだ。勿論死んでしまっていたけど、なんかホラー。中央道で白のT-4ウェストファリアに抜かされた。うーん、9日目にしてようやくワーゲン・キャンパーに出会えたわさ。
日が傾く前には見慣れた街に戻って来た。もう家が近いとなったときから「Nゲージやろうね」攻撃の長男。ちょっと待て、もう十分遊んだではないか。長旅では準備するのと同じように片付ける時間も要るのだ。
影が落ちる我が家の横に、長い旅を終えたT-3ヴァナゴンが9日ぶりに横付けされた。子供たちと荷物の一部を降ろして、駐車場にそっと入る。
無事、帰還。
というわけで約2,200km、9泊9日の旅は終わった。改良の課題はできてしまったけど、とりあえずは無事に帰ってきた。気は抜けないけど、十分に旅車なのである。
使って使って使ってナンボ、使ってナンボのヴァナゴンだあ ♪
フォルクスワーゲンT3ヴァナゴン、中国地方の旅、総括。
このヴァナゴンの中国旅、PVはコンスタントに350/1日が続いているので、飽きずに見ていただけたのかな~、なんて思ったりして…。
今回はまあとにかく大きな故障もなく実質10日間、2,200kmを超える旅は無事終了したことが先ず大きいですね。
平均燃費で7km/L~9km弱/L。バラつきが大きいのは坂道やアイドリングが多かったりクリープになると、極端に燃費が落ちるんですね。ガス代も地方によってほんとばらつきがデカイ。なので、「安いな」と思えるところでとにかく満タン戦法、になったのでした。それもちょっと燃費を悪くしている原因かも(本末転倒?)。
予算的にはほとんどヴァナゴンで宿泊したにも関わらず、それでも想定を越えてしまった(苦笑・予算が少な過ぎ?)。とにかくガソリン代と暑さゆえの飲料代がすごかった。高速の長距離移動はもうETC割引がないとやっていきませんね。
しかし日本を旅するのであれば、このくらいのサイズがJustだなあ、って今回も思いました。「旅車」って定義について、自分ではミニマムの大きさと思っています。大きければ乗っているときは快適だけど、外との距離は遠くなるような気がして。パッキングも必要最小限(といっても無理にストイックになるのではなく、無駄なものは積まないということ)にして、それをどのように積むか考えるのもひとつの楽しみになっています。たまに外すけど、それは次回の糧にすればいいし、糧にするつもりがまたアテが外れたりして…、の繰り返し。まあ無ければ工夫をする、という楽しみもあるわけで。。。このあたりは自分がシーカヤックで旅をするときの考え方でもあります。
ヴァナゴンでも十分大きいっていう意見もあるかな~。でも全長と幅はレクサスGS(4830mm×1820mm)とたいして変わらないのですよ(カラベル4600mm×1845mm)。ただ室内が広大さは、今の車にはとんでもない技術革新か素材革命が無い限り絶対真似できないところですね。
ただやはりヨーロッパ生まれアメリカ向きの車、高温多湿、ノロノロ運転も多い日本の夏の運転では、いろいろと手に入れた方がいいなあ、と思えるところも出てきました。室内もこれから成長していく子供たちに合わせた改造も要りそうな感じ。この冬にできるところから手をつけていこうっと。
このあたりは思いを同じくする同士がおりましたので(笑)、これからいろいろと考えていきたいと思っているのです。また根本的に直したいパーツもあるのだけど、お金は無いし、まだそれを任せられるメカニックさんも探している状況だし、欠品パーツもあるらしいので、どうしようかな~、という感じではあります。
その後、ファントムの岡田メカに無事帰還の報告。
これほど暑い中、たった数度のエンストだけしかしなかったのなら、それは上出来じゃない?と言われた。
いやマダマダ不安があるんで、これこれこういうことをやりたいんだけど、と伝えると、忙しいから当面無理と言われてしまった。うーむ、しばらく妄想を続けるしかないか(苦笑)。
帰ってくるなり、さて次はどこへ行こう、と考えてしまう。
北海道、九州はあこがれてはいるんだけど、子供たちがもう少し大きくなってからの方が彼らにとっても楽しいだろうか。
その前に車を進化させることができるかな…。
この旅も大量に写真を撮っているので、将来、何かの形でまとめられたらなあと思っています。